民間検閲局 (CCD)
1945年8月15日に日本が連合軍に降伏すると、同年8月30日にマッカーサー元帥が日本に到着しました。それから3週間後の9月、マッカーサー率いる連合国軍司令部(SCAP)は日本の報道機関向けに10項目からなるプレス・コードを発令します。その後1949年11月まで、陸軍諜報部(G-2)に属し占領開始と同時にフィリピンから日本へ移動してきた民間検閲局(CCD)が、民間におけるすべての通信報道活動(郵便、電話、電報、映画、放送、出版)に対して検閲を行ないました。プランゲ文庫の所蔵資料は、CCDによって検閲のために集められた出版物で構成されています。
検閲が行なわれていた期間、日本の出版者は出版物をCCDに2部ずつ提出することが義務づけられていました。提出された書籍やパンフレットには、CCDの 検閲官がジャンルと番号を割り振り、提出された日付、ローマ字化したタイトル、発行予定部数、用紙の種類をカバーに記入しています。その後、CCDは各出 版物がプレス・コードに抵触していないかどうかを判断します。問題のあった場合には、部分的な削除、出版差し止め、保留、書き換えが求められました。なか には、出版者が自ら出版を取り下げることもありました。検閲処分のいかんにかかわらず、提出された出版物の1部は出版者に返送され、もう1部はCCD用の 「File Copy」として保管されました。
提出された出版物がプレス・コードに抵触するとして出版者に戻された場合、出版者はCCDの指示に従って内容を修正しなければなりません。ただし、修正の際には削除箇所を黒く塗りつぶしたり、空白にしたりすることは認められず、必ず版を組みなおすよう要求されました。 そのため、占領が終了してかなりの時間が経つまで、一般市民は検閲が行なわれていたことを知りませんでした。